理系書店員のひとりごと

水環境に興味があり「技術士」を目指す書店員のブログ。将棋アマ5級程度。日本手相能力検定3級。マラソン元サブスリー。トライアスロンはそこそこ。桑名七番勝負1回戦敗退。

現代教育の課題

 現代の(戦後)教育とそれがもたらしたものについて、「現代語訳 論語と算盤」の著者 渋沢栄一氏の生きた時代と現代とでは廻り回って同じ課題を抱えていると思うので、上述の古典をもとにまとめてみた。

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<(昔の)武士や上流の百姓町人>

 ● 多くの場合その青年時代に、中国古典の教育を受けた。

 「小学」「孝経」「近思緑」→「論語」「大学」「孟子」など

 ● 一方で、体を鍛えて武士的な精神を奮い立たせた。

 → レベルの高い中国古典の教育を受けた武士は、理想も高く見識も持っていた。

    *少数でもよいから偉い者を出す “英才教育” 。

    *青年は良い師匠を選んでその学問を習い、徳を磨いた。

    *心の学問が多かった。

<(昔の)一般の百姓町人>

 ● 極めて身近でわかりやすい「実語教」「庭訓往来」と加減乗除の九九

 → わかりやすいお稽古事を身に付けたにすぎず、無学な者が多かった。

 

<今の教育>

 ● 階級の無い平等な社会で地位や収入などに関係なく、みな教育を受けられる。

   *多数のものを平均して教え導いていくという “常識的教育” 。

   *青年の師弟関係は乱れてしまっている。

   *知識を身に付ける学問が多い一方で、心の学問に力を尽くさないから、青年たちの品性に問題が出る。

 

  → そもそも、現代の青年は学問をする目的が間違っているという。

   論語でも次のような一文があるとのこと。

   「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を売るために学問をする」 

 今の青年は、ただ学問のための学問をしている、と。初めから「これだ」という目的がなく、何となく学問をした結果、実社会に出てから「自分は何のために学問をしてきたのだろう」となる者が少なくないという。

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  現代では自分の進路(特に大学・それ以降)について、理系科目が苦手だから文系を、またはその逆だから理系を選択するという人が少なくないが、学問を修める目的とするにはもったいないということだろう。著者が、このことについて “国家の活力減退を招くもと” とまで言っているのが印象的である。

 

「現代語訳 論語と算盤」(渋沢栄一 著、守屋敦 訳)より